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名古屋高等裁判所 平成6年(う)148号 判決 1996年3月18日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中五〇〇日を原判決の本刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人湯木邦男、同谷佳代子が連名で作成した控訴趣意書、控訴趣意書補充書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官田子忠雄が作成した答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

第一  控訴趣意中、原判示第一の殺人の事実に関する事実誤認、理由不備、理由の食い違いの主張について

所論は要するに、原判決は、原判示「犯罪事実」第一において、被告人は、判示日時、場所において、判示の方法で、A子を殺害したと認定している。しかし、被告人が右犯行を行ったことを立証するに足りる証拠はないのに、原判決は、多くの情況証拠を積み上げ、間接事実を羅列し、推論によって主要事実たる被告人の殺害行為を認定しているが、以下所論として指摘するとおり、原判決の右各間接事実の認定自体及び間接事実から殺害を認定する過程には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認、理由不備、理由の食い違いがあり、原判決は破棄を免れない、というのである。

所論にかんがみ記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果を加えて検討すると、原判決挙示の各証拠を総合すれば、原判決が「犯罪事実」第一に判示するとおり、被告人が判示日時、場所において、判示の方法で、A子を殺害した事実は優にこれを認定することができるのであって、原判決には所論指摘のような事実の誤認や理由不備或いは理由の食い違いは認められない。また、右各証拠によれば、右「犯罪事実」第一の認定に関し、原判決が補足説明(第一、第二、第五)として詳細に認定、説示するところも、概ね相当として是認することができ(但し、補足説明二七頁九行目に「パプトグロビン型が2/1型」とあるのは「ハプトグロビン型が2/1型」の、同ページ一〇行目に「PPGD型」とあるのは「PGD型」の、「EsD型が1-1型」とあるのは「EsD型が1/1型」の、同ページ九行目から一〇行目にかけて、八〇頁二行目から三行目にかけて、九〇頁三行目に、それぞれPGM1型が「(1-1+)型」とあるのは、いずれも「(1/1+)型」の明白な誤記と認める)、原判決が被告人の原判示「犯罪事実」第一を認定した過程、結論に合理的疑いが残るとはいえず、所論指摘の事実の誤認、理由不備、理由の食い違いがあるとは認められない。

当審及び原審公判廷における被告人の各供述のうち右認定に反する部分は、措信できるその他の右各証拠に照らし、たやすく信用することができない。

以下、所論の指摘する問題点につき項を分けて順次検討する。

一  犯行の動機

所論は要するに、原判決は、被告人はA子を金銭の引き出し先としか考えず、A子を食い物にしていただけであり、被告人はサラ金に対する債務の返済に窮しサラ金地獄に陥っていたところ、サラ金からの借入金を返済して清算するためには、名古屋市《中略》二二番(昭和六二年五月二九日同番の四を分筆後の同番)、同番の二、三の宅地及び以上三筆の土地上の建物(以下、右土地については、本件土地、右建物については、本件建物、双方合わせて本件不動産という)を売却処分する以外に方法がなく、A子がその売却に強硬に反対していたことから、これを処分できない状況にあったので、被告人が本件不動産を売却処分するために邪魔になるA子を殺害するに至ったと認定している。しかし、<1>被告人は「サラ金地獄」といわれるような経済的に逼迫した状況にはなく、<2>本件不動産を売却することに固執し焦っていたとも認められず、<3>被告人がA子を「食い物にし」A子に対し殺害行為に及ぶような関係にはなく、<4>原判決の認定するような事実からは、せいぜい傷害致死等の動機と考えられる可能性があるにすぎず、到底被告人がA子を殺害した動機は認定できない、というのである。

そこで記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果を併せて検討すると、原判決が、原判決挙示の証拠に基づき、被告人がA子に対する殺意を持つに至った経緯、動機の形成について補足説明(第二、一)に認定説示しているところは、当裁判所も相当として是認することができ、右認定につき所論指摘の事実誤認、理由不備、理由の食い違いは認められない。

以下、所論に即して補足して説明する。

1  被告人の経済状況

所論は要するに、被告人は、サラ金からの借入金の割賦返済を遅らせたこともなく、サラ金からの借入金やA子の貯金を引き出した分は株の取引に注ぎ込んでいたのであって、月額八万円の家賃収入もあり経済的余裕があったことから、被告人の当時の経済状態は「サラ金地獄」といわれるような逼迫した状況にはなく、殺人を犯すような動機は存在しない、という。

しかし、関係各証拠によると以下の各事実が認められる。

(1) 被告人は、B子(当時C姓)と同棲を始めた昭和六〇年ころから、みるべき資産もなく株取引等により生じた借金や前に同棲していた女性に対する慰謝料支払いのための借金があったうえ、その後始めたビジネスホテル内の食堂経営も不振であったため、B子の名義などで農協やサラ金から借金を重ね、当時新たな借受けも困難な状況にあった。

(2) 被告人は、昭和六二年六月中旬ころ、本件建物一、二階改造の名目でA子を連帯保証人にし、本件不動産に根抵当権を設定してサラ金業者から五〇〇万円を借り入れたが、その一部を改造費に充てただけで残りの部分を株の購入資金や借金の支払いに充てていた。

ちなみに、昭和六二年六月当時、本件不動産の登記簿上の権利関係は、本件建物が被告人及びA子の共有、その敷地である三筆の土地中、前記二二番の土地がA子の単独所有、前記二二番の三の土地が被告人の単独所有、前記二二番の二の土地が両名の共有となっていた。

(3) 被告人は、昭和六三年初めころ、和歌山県西牟婁郡白浜町での食堂経営をやめて、名古屋市に出て来て本件建物二階でA子と同居することになったが、わずかの期間補足説明(第二、一3(五))に認定の仕事に就いたことによる収入や同年五月ころから本件建物一階部分の家賃(月額八万円)を得ていたことのほかは、パチンコなどをして無為徒食の生活を続けていたので、収入がなかった。他方、サラ金への支払い、株式の購入決済資金のほか、当座の生活費、妻B子への毎月の送金(五万円ないし三〇万円)などの支出に追われる状況にあった。

(4) 被告人は、昭和六三年九月ころまでの間名古屋市内のサラ金業者だけでも合計六社から十数回にわたり借受けを重ね、同年一二月の残債の合計額は九五三万余円、毎月の返済額は二三万余円に達し、益々経済的な窮迫の度を深めていた。その間被告人は同年一〇月に入ってからもサラ金三社(戊田、甲田、乙野)に対し本件不動産を担保に新規の借受けを申し込んだが、その都度、信用不安等の理由で融資を断られていた。

(5) 被告人は債務弁済の資金を儲ける目的などで、B子と同棲する以前から株式取引をしていたが名古屋に来てからもこれを続け、とくに昭和六三年七月ころから始めた戊原商事を介する株式の取引は保証金の七倍の取引ができる投機性の高いものであって、同年一一月ころまでに約六二万円の損失を被っていた。

(6) そこで被告人は、昭和六三年一〇月六日から同年一一月二五日までの間に五回にわたり、A子の箪笥の中から無断でA子の郵便貯金通帳等や印鑑を持ち出し、郵便局で貯金を払戻したり定額貯金証書を担保に貸付けを受けたりして合計一八三万円を引き出し、これを被告人のサラ金の債務の支払い、株式取引資金等に充てた。しかし、同年一二月初旬A子に右貯金の払戻し等の事実が発覚し、同月二四日ころ、被告人はA子から詰問されて、この事実を認め二度とこのようなことを繰り返さないこと、右貯金払戻し分等は被告人が働いて確実に返済することを約束した。

(7) 被告人は、昭和六四年一月七日から本件不動産を処分するために原判示第三、第四の犯行を重ね、印鑑を忘失したと偽って、A子の実印の改印手続をしたうえ、昭和区役所でA子の印鑑登録証明書の交付を、また、法務局から本件不動産の登記簿謄本の交付を受け、同月一〇日にはこれら関係書類を不動産業者甲野ことD方に持参し本件不動産の売却による換金を図ったところ、業者から売却が困難と言われて買取りは拒否されたが、その後にも同人に融資をしてほしい旨の申し入れをしている。

(8) 更に、被告人は、平成元年一月九日から二〇日までの間に、A子との約束に背き、またしてもA子の定額貯金証書、預金総合口座通帳、印鑑をほしいままに持ち出し、改印届をし、四回にわたり、千種郵便局、名古屋相互銀行川原通支店において合計六八万五二二四円の預貯金の払戻しを受け、サラ金の債務の支払いなど自己の用途に費消していた。

以上認定の各事実を総合すると、被告人の経済状況は以前から資産もなく借金に追われ窮迫していたところ、名古屋に来てからもA子方に寄食し定職に就くでもなくみるべき収入もないのに、サラ金への支払い、株式取引資金のほか、当座の生活費、毎月の妻への送金のための支出に追われ益々経済的な窮迫の度を深め、サラ金からの新規借受けも拒絶される状態に立ち至り、遂に無断でA子の郵便貯金に手を付け使い込むまでになっていたが、これもA子に発覚して、右各支払いの資金を捻出するにつき他に方途がなくなり本件不動産を一括して処分換価する緊急の必要に迫られていたと認められる。

なお、所論は、被告人には家賃収入があり、株の取引もしていたから経済的余裕があったというが、家賃収入の額は被告人の債務やその他の支払額に比べ取るに足らず、サラ金からの借金やA子の貯金を無断で払い戻してまで株の取引に手を出していたのは、債務の弁済に窮し一攫千金を狙ってのことと考えられ、これらのことから被告人に経済的余裕があったとは決していえない。

2  本件不動産の処分に関する行動

所論は要するに、被告人は本件不動産の有効利用を種々検討し、担保設定や賃貸を行い、売却の可能性を考えていたが、昭和六三年一二月二〇日ころの前記Dに対する本件不動産の売却依頼というのは、本件不動産売却の話がまとまるのであればそれでよいし、これを担保に融資を受けられるのであればそれでもよいと考えていたのであって、被告人が債務の返済資金調達のためにA子を殺害してまで本件不動産を売却することに固執し焦っていたものとは認められない、という。

しかしながら、関係各証拠によると以下の各事実が認められる。

(1) 被告人は、昭和六一年三月下旬、白浜町の自宅に被告人の実母E子及びA子の訪問を受け、実母から、真実は被告人が亡Fの相続人ではないのに、名古屋市《中略》二二番(前記分筆前の地番、その後の同番の四を含む)、同番の一(後日分筆された同番の五を含む)ないし三の土地及び同地上の建物につき相続を原因としてA子と被告人の共有登記がなされている事情を告げられ、右相続放棄を求められた。

(2) しかし、被告人はこれを聞いて実母やA子らの要求に応ずるどころか、遺産が転がりこんだと喜び、昭和六一年四月以降白浜町内の不動産業者に登記簿謄本等を持ち込んで価格を聞く一方、A子や右不動産の一部に住んでいたA子の従兄弟のGらに対し、電話や手紙で自己の権利を積極的に主張し、A子に宛て被告人と亡F間の親子関係不存在確認訴訟をしないよう手紙を出し、執拗にGら一家が本件不動産から立ち退くよう求めるようになった。

(3) そこで昭和六一年六月一五日被告人、A子、G及びその母らが集まって親族会議を開いたが、その際、被告人はA子に、右不動産をいっそ全部売り払って白浜で暮らそうかと提案したものの、A子は「絶対に嫌だ」と言下に拒否した。結局、Gら一家は、立退料等の支払いを受けることで立ち退くことを承諾し、同六二年三月ころ、被告人とA子が右土地の東側部分(九九・一七平方メートル)を売却した代金のうちから一一五五万円の支払いを受けて、右不動産から退去した。

(4) 被告人は、昭和六二年六月ころ、不動産業者の乙山商事ことHに対し、本件不動産の売却仲介と売却についてA子を説得して承諾を得ることを依頼した。そこでHがA子に会って説得を重ねたが、A子は売る気は全くないと拒否し、結局売却を断念せざるを得なかった。その後被告人は本件土地上にマンションを建築すること或いは建物を店舗等に改造して賃貸することなどを考えたが、資金の目途が立たず、やむなく、同年六月本件不動産を担保としてサラ金から五〇〇万円を借り入れ、建物一、二階を改造して一階を貸家として賃貸することにした。

(5) 昭和六三年三月ころ、被告人は、不動産業者の丙川商事ことIに本件不動産の売却仲介を申入れ売渡委任状を渡したが、その際被告人はA子が本件建物から退去することを承諾する方法を不動産業者と相談した末、足が少し不自由なA子を本件不動産からは通勤の困難な遠方の職場に勤務させればあるいは転居を承諾するかも知れないと期待し、不動産業者が名古屋市北区の縫製業者を紹介してA子を同所に就職させたが、期待どおりに事が運ばず、A子の承諾は得られなかった。

(6) 本件建物一階部分については、昭和六三年五月ころから月額八万円で賃貸し、その家賃は被告人が全部取得した。

(7) 昭和六三年一二月二〇日ころ、被告人は、前記DにA子の名義分を含め本件不動産を坪単価二〇〇万円で売却することは姉から任されている、姉には連絡しないでほしい、姉の印鑑登録証明書も取れる旨電話して本件不動産の売却を依頼し、更に一二月二五日ころ書類が揃ったと電話したところ、Dは年明けに書類を届けるよう応答した。

(8) 昭和六四年一月七日から、被告人は本件不動産を処分するのに必要なA子の印鑑登録証明書の交付を受けるためにA子の居室で実印を探したが見当たらなかったので、印鑑を忘失したとの虚偽の理由で改印の手続等をするため原判示第三、第四の犯行に及び、同月一〇日までにA子の印鑑登録証明書、本件不動産の登記簿謄本を取得すると、同日直ちにこれらの書類と本件不動産の権利証を前記D方に持参し本件不動産の売却を依頼し、Dとの間に本件不動産売却について価格を七二四〇万円とする専任媒介契約を締結し、同時に一階の賃借人に対する立退交渉を委任した。

(9) 平成二年五月ころ、被告人は不動産業者のJに対し、A子は男から電話があって出て行ったので失踪宣告をするなどと虚偽の話をして、同人を介して同月二五日有限会社丁原観光に対して本件不動産の被告人の所有及び共有名義分を二〇〇〇万円で売却する契約を締結し、同年六月二七日までに代金を受け取り、本件不動産をA子の居住部分も含め有限会社丁原観光に占有を移転し、同日サラ金二社の借金の残金八七八万余円を弁済し、更に、その後、電話でJに対しA子の所有及び共有名義分も被告人に相続権があるので売却したいと申し入れている。

(10) A子は自分の考えを押し通す一徹なところがあり、本件不動産を処分したいという被告人の提案や被告人から依頼を受けた不動産業者の説得に対しては、徹頭徹尾「生まれて育ったところだしお父さんが残したところだから絶対に売らない」との態度を堅持し、A子にとって父祖伝来の資産であり、かつ生涯の住居であった本件不動産を処分することには頑として応じようとしなかった。

以上認定の各事実によると、被告人は、前記不動産について自分が共有名義人となっていることを知ってから、これを担保に供し或いは賃貸して金銭を得ることにとどまらず、A子名義分を含めて、すべて一括売却換価して代価を得ることに異常に執着し、幾度も不動産業者らに売却を依頼したが、いずれもA子がこれに同意しないため売却は実現不可能となっていた。それにもかかわらず、昭和六三年一二月末には、被告人は、A子が将来も承諾する見込みがなく売却すれば直ちにA子の唯一の住居がなくなることを知りながら、不動産業者に対し本件不動産の売却につきA子から任されていてA子の印鑑登録証明書も取れると明言して売却処分を依頼し、現に翌年一月七日から原判示第三、第四の犯行まで敢行し、同月一〇日までにA子の印鑑登録証明書を取得するや直ちに不動産業者に持参し本件不動産を売却しようとしていたのであり、逼迫していた被告人の経済状況を打開する唯一の方法として、それ以前から、本件不動産の売却を承知しようとしないA子の意向を無視し、その住居を失わせることになっても本件不動産を売却することに固執しその処分を急いでいたものと認定できる。

3  被告人とA子の関係

所論は要するに、被告人が前記不動産についての権利主張をしたりA子の従兄弟のGらに立退要求をしたのは、巷間みられる遺産争いにすぎず、その紛争の過程でA子は被告人に親近感を抱くようになったこと、被告人がA子の貯金を無断で引き出したのは、被告人のA子に対する甘えの発露であり、これによって、被告人とA子の信頼関係は崩れることはなく、年末年始も仲良く過ごしているのであって、犯行日とされる昭和六四年一月五日までの被告人とA子の関係は、互いに信頼し合って仲良く生活していたのであり、被告人がA子を食い物にしたり、殺害する行為に及ぶような関係にはなかった、という。

そこで検討すると、関係各証拠によれば、被告人とA子は戸籍上は姉弟となっているが、真実は従姉弟同士であり、被告人の相続放棄が問題となった昭和六一年三月ころまでは全く交際はなかったが、被告人がGらに対する立退要求をした後の親族会議を経た同年六月中旬ころから、A子は、被告人に親近感を抱くようになり、自分の僅かな収入を割いてまで被告人のために食事の世話をし小遣いや旅費を渡したり、連帯保証をして被告人が金を借りるのを承諾したり、被告人の妻に何回も手作りの洋服を送るなどし、昭和六三年年末から新年にかけて親族として共に過ごそうと考えていたのであるから、A子の方は、犯行日のころまで被告人を実の弟のように信頼していた(もっとも、A子の実印や現金は居室の箪笥の中に見付からないように隠されていたことから金銭的な面では被告人に警戒心を抱いていたとみられる)と認められる。他方、被告人は、前記のように、Gに対する立退料を支払うために前記土地の東側部分を不動産会社に一五五〇万円で売却し、この内からGに対する立退料等一一五五万円や売却費用等を支払ったが、その残額については、A子に全く渡すこともなく、更に、本件建物一、二階の改造費用という名目でサラ金の乙野からA子の連帯保証で五〇〇万円を借り受け、その内二九〇万円を改造工事代金に充てているが、その残額は自分の債務の支払い等に充てていること、前記本件建物の一階の家賃(月額八万円)を独り占めにしていたこと、被告人はA子に対して就職もしていないのに仕事に出ているよう外見を繕ってA子の負担で生活し旅費や小遣いも貰っていたこと、本件不動産を処分することは、愛着のある父祖伝来の資産と生来の住居を直ちに失うというA子にとって極めて過酷な結果になりA子の意思に反することを十分承知しながら、次々と幾つもの不動産会社を訪れて本件不動産の売却斡旋を依頼し、あくまでもこれを換価しようと試みていたこと、とくに前記のように、本件犯行に先立つ昭和六三年一二月二〇日ころA子が承諾する筈がないのに不動産業者に電話でA子の印鑑登録証明書も取れるので本件土地建物を買い取ってほしい旨申し入れていること、被告人は同年一〇月六日から五回にわたりA子が大切に保管していた郵便貯金通帳等や印鑑を無断で持ち出し長年にわたりこつこつと貯えていたA子の将来の生活資金である郵便貯金の払戻しを受けるなどして合計一八三万円を引き出し、ほしいままに自己の用途に充てていたことの各事実に照らすと、被告人としてはA子が被告人を信頼していることに乗じて専ら金銭的な利益を得ること及び本件不動産をなんとしても売却換金することを意図してA子と同居していたと認められ、被告人の方からA子に対して肉親的情愛をもって接し、実姉に対すると同様に心から信頼していた関係にあったとは到底いえないから、被告人が本件不動産を処分、換価するためにA子に対し殺意を抱いたと認めるのが所論指摘のように不自然とはいえない。このことは、被告人が同年一二月下旬におけるA子との約束にもかかわらず、またしても翌平成元年一月九日からA子の郵便貯金通帳等や印鑑を持ち出し、郵便局や銀行から多額の預貯金をほしいままに払戻しを受けたり、A子の明白な意思に反して同月七日から本件不動産を処分するために原判示第三、第四の犯行に着手し、本件不動産を処分しようとしているなどA子の人格、胸中を顧みない非情な行動に出ている事実やA子の不在となった直後の同月一一日さっさと妻の住む白浜町へ帰ってしまっている事実からもうかがえる。

4  殺害の動機としての原判決認定の各事情

所論は要するに、原判決認定の動機である「サラ金の債務を返済するために不動産を売却したかった」というのは社会通念上殺害行為の遠因となる程度の事実であり、被害者を殺害してもすぐに現金を手にいれることができるわけでなく、原判示犯行日時に殺害という残虐な行為に及ぶ直接の原因と認定するには説得力を欠き、経験則や社会通念に反するし、また、計画的犯行か衝動的犯行か、殺意の発生時期、殺害の直前の状況についての認定がなく、原判決の認定する動機となるべき事実からは、一般論からいえば、せいぜい傷害致死、過失致死の動機として考えられる可能性があるにすぎず、被告人の殺害行為を認定できるものではない、という。

しかしながら、ある事情が殺害の動機となるか否かは個々人ごとに異なり必ずしも一般論として論じ得ることではなく、本件において、被告人がサラ金からの借入金の返済などで経済的に極めて逼迫し、本件不動産を処分して多額の金員を得ることに執着して長期間行動していたが、所有・共有名義人のA子が本件不動産の処分に頑強に反対している情勢から、A子の存在が右処分の支障となったのでこの支障を排除して本件不動産の一括処分を決行するため殺害を決意したという犯行に至る経緯や動機の形成に不自然、不合理なものは認められない。このことは、犯行に先立つ昭和六三年一二月二〇日ころ、その承諾が得られる見込みが全くないのに、被告人は、不動産業者に本件不動産を買い取ってほしいと依頼し、犯行日と認められる日の直後である翌六四年一月七日から本件不動産を一括処分するために原判示第三、第四の犯罪行為に及んでまでA子の印鑑登録証明書を取得するなどして本件不動産売却の依頼をしている事実(前記2(7)(8))とも符合する。

右経緯及び動機が被告人のA子に対する傷害致死、過失致死の原因(死因からこれらが考えられないことについては後記のとおり)となる行為に結び付くことをうかがわせる何らの事情もないし、被告人もそのような趣旨の供述を全くしていない。また、被告人が犯行について完全否認をし、被害者が死亡していて目撃者もいない本件においては、殺害を計画した経緯、殺意を抱くに至った時期、殺害の直前の状況について原判示第一に認定する以上に具体的詳細な事情を明らかにすることができないのはやむを得ないところであって、原判示の犯行に至る経緯や動機の形成からして少なくとも衝動的犯行であるとはいえないし、このことは補足説明(第二、五2(三)(2))に認定説示のように、被告人が昭和六三年一二月二七日ころ前もって本件建物一階の賃借人一家が翌年一月四日から六、七日までは不在となることを確認していたことからもうかがえ、被告人があらかじめ、遅くとも原判示第一の日時までに確定的殺意を持つに至ったことを優に認定することができる。

二  殺害行為

所論は要するに、A子が殺害されたことを証明する客観的証拠は一切なく、まして、原判決が列挙する証拠によって、被告人が原判示の方法でA子を殺害したことは合理的疑いを入れない程度に証明されたとは到底いえない。すなわち、仮に頭蓋骨、下半身、浴室で発見された肉片がA子のものであって(この点は争うものであるが)、A子が死亡し、A子の行方不明後の被告人の言動から、被告人が右死亡を認識していたとしても、このことから、直ちにA子が殺害されたことを認定することはできない。また、仮に、A子の死体が本件建物内で解体されたとしてもこの事実は、何等かの原因で死亡した人の死体を損壊したこと以上の意味を持つものではなく、死体の傷、室内の布団に人血の付着していたこと、失禁を推測させる尿の付着があったことも、被告人が故意に殺害したことを推認すべき事実ではない。原判決認定の犯行の動機、被告人の言動、死体の解体の事実は、せいぜい傷害致死、過失致死の事情となり得る程度のものであって、到底被告人の殺害行為を認定できるものではなく、A子の死亡が殺害されたものか、過失致死、傷害致死によるものかを区別すべき証拠はない、というのである。

所論にかんがみ記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果を加えて検討すると原審において取調べられた関係各証拠によれば、以下の各事実が認められる。

1  A子が殺害された事実

後記認定のとおり、A子の所在が不明となった後に、名古屋市港区潮見町三七番地の三名古屋港BB桟橋先海中で発見された腹部のほぼ中央部分から切断された女性の下半身(以下、本件下半身という)、瀬戸市川平町一番地正伝山山中国有林内で発見された頭蓋骨及び付近で発見された下顎骨、頚骨、歯牙、毛髪(以下、本件頭蓋骨等という)、A子の所在が不明となるまで被告人とA子が住居としていた本件建物二階の浴室内の水道蛇口裏側から発見された肉片(以下、本件肉片という)は、いずれもA子の身体の一部であること、これらの状況及び本件建物二階浴室内等の血痕反応の状況、浴室内から本件下半身と同一死体の一部とみられる本件肉片が発見されたことからA子の身体が、死後、本件建物二階の浴室内において鋭利な刃物及び鋸で本件頭蓋骨等、上半身、本件下半身に切断されて解体され、本件頭蓋骨等と本件下半身が原判示第二記載の別々の場所に投棄されたものと認められること、本件建物二階七畳の間(A子の居室)にあったA子の布団、毛布等にA子のものと認められる血痕や尿が付着し、絞殺或いは扼殺による窒息死の時に通常見られる出血、尿の失禁が認められること、発見された本件下半身内の膀胱が空虚であり、左右下肢に皮下出血があること、A子に失踪、病死、自殺、事故死の原因となる事情が全く認められず、窒息死に至るような絞頚或いは扼頚という行為が過失で行われることはなく、また、単なる暴行や傷害の意思でなされるとは通常考えられず、傷害致死、過失致死の原因となる事情、或いは殺人以外の原因で死亡した死体を解体したことをうかがわせる事情が全くないこと

これらの各事実を総合すると、A子が本件建物二階七畳の間で絞頚或いは扼頚により殺害されたものと認定することができる。

所論は、<1>本件建物二階七畳の間に置かれた枕カバー、掛け布団、毛布に血痕の付着が認められたが、これらの物に血痕の付着があることは別段珍しいことではなく、毛布に尿の付着があったからといって、これが人尿であるか否か、A子が殺害されたとする時期に付着したのかも明らかではなく、殺害された証拠とはいえない、<2>左右下肢の皮下出血については、その原因が合理的に説明できていない、<3>本件建物内からは、A子の使用する二階七畳の間以外の場所である被告人使用の六畳の間内のテレビ右上、緑色毛布、座布団、台所テーブル下、台所北側床上からもルミノール反応が出ているのであって、このことはA子が本件建物二階で就寝中に頚部を絞められて殺害されたとすると説明ができない、という。

そこで検討すると、関係各証拠によれば、<1>所論指摘の掛け布団などについては原判示第一の犯行日、時間帯とされる時(以下、本件犯行時という)ころまでA子が本件建物二階の七畳の居室で寝具として使用していた物と考えられ、平成元年一月二一日から二三日に行われた検証の際にルミノール化学発光法、ロイコマラカイトグリーン法による陽性反応があったことから、これらを鑑定したところ、枕カバー、掛け布団に血痕の付着が、掛け布団のカバーに人血及び人の唾液の混在したものの付着が認められ、毛布には約八センチメートル×七センチメートルの大きさの人血及び人の唾液の混在したものの付着が認められること、毛布の人血及び人の唾液のある箇所から約六五センチメートル離れた箇所に約四二センチメートル×四〇センチメートル大の尿の付着が認められ、これらがその尿酸量等の値から「ヒト尿」と認められるとの鑑定結果(甲七号証)に疑義はなく、右毛布等の使用者がA子であること、これら血痕、尿、唾液は血液型(血痕、唾液につきABO型B型、血痕につきPGM1型1/1+型)が、血痕はDNA遺伝子型(HLA-DQA1型)がA子のものに一致することから、いずれもA子のものと認められること、絞頚や扼頚等による窒息の時には、顔面に溢血があったり、程度がひどいと耳や鼻から出血することが多く、尿の失禁もよく見られる現象であること、このことは発見された本件下半身内の膀胱が空虚であったこととも符合し、他に右出血、尿の失禁などの原因となる事情はうかがえないから、これらの血、尿、唾液の痕跡は、本件建物二階七畳のA子の居室で、A子が就寝中に、絞頚或いは扼頚等による窒息を引き起こすような行為によって殺害されたことを推認させる重要な証拠というべきものである。

<2>本件下半身の左右下肢に存在する皮下出血は、生前の鈍体による打撲によるものと認められる新鮮なもので皮下出血ができた直後に死亡したとしても矛盾がないこと、絞頚或いは扼頚等による窒息では激しい痙攣を伴うのが普通であること、A子は本件建物二階七畳板の間中央に畳一畳だけを置いた上に布団を敷いて就寝していたこと、その回りには整理箪笥、炬燵やぐら、ミシン台、机、鏡台がおいてあったことから、A子が両足を痙攣させた際に床板や家具等の鈍体に打ちつけて生じたものと推認される。なお、皮下出血は六箇所に及び下腿部や内側部にできていることから転倒などにより生じ得るものとは考えられない。

<3>後記第二に認定のとおり、被告人はA子を殺害後に死体を鋸や刃物で頭部、上半身、下半身に切断していると認定されるのであるから、その際に被告人の手や身体の各部にA子の血が付着したものと推認されるところ、付着した血を十分に洗い落とさないまま被告人が所論指摘の自己の使用する箇所に接触すればそこに血が付着することが考えられ、その蓋然性は高いと認められるから、これらの箇所にルミノール化学発光法等による血痕検査反応(陽性)があったことは、A子が本件建物二階七畳の間で絞頚或いは扼頚され殺害されたと認定することに合理的疑いを生じさせることではない。

2  犯行に至る事情、動機

昭和六三年初めころから被告人はA子の唯一の同居人であったこと、前記一のとおり、被告人には、A子を殺害する十分な動機があり、A子が殺害されたと認められる直前の同年一二月二五日ころ、A子が本件不動産の処分を承諾し退去することは全く考えられずその状況では売却が不可能なのに、被告人は、A子が反対し住居を失うに至ることが明らかな本件不動産の売却を急いでいたこと、その際不動産業者に右処分に必要なA子の印鑑登録証明書等の書類が揃ったと述べていること

3  本件犯行時の被告人とA子の所在、行動

本件犯行時とされる時間帯において、本件建物の二階に現在したのはA子及び被告人の二人だけであったこと、A子が昭和六四年一月五日午後八時ころ外出したまま帰って来ないとの原審及び当審での被告人の供述が信用できないこと(補足説明第一、一3、なお、被告人は、原審では、A子が出掛けた後、自分が就寝前に本件建物二階入口ドアの鍵を掛けたと供述するが、当審では、A子が鍵を掛けて出掛けたと供述し、各供述は抵触する)

4  本件犯行後の被告人の行動

原判示第一の犯行直後と考えられる昭和六四年一月六日及び一〇日の朝、被告人は、A子の勤務先のK子に対し、ことさらA子の生存を装う虚偽内容の電話をしているほか、そのころの実母や妻からの問合わせの電話に対してもA子の生存を装う虚偽内容の応答をしていること、引き続き、前認定のとおり、同月七日ころから本件不動産の処分のために必要な印鑑登録証明書を取得する手続に着手し不動産業者に処分を依頼していること、同日午後五時ころ、とくに頑丈なものをと注文をつけ新品の自転車を購入し、段ボール箱を入手し、同日午後七時ころ、自転車荷台に段ボール箱を積んで運び出そうとしているのを隣人のL子に目撃されたが、後日その自転車の前篭から採取された毛髪のうち三本は血液型、形状などからA子の鏡台にあったブラシから採集した毛髪と同一性が認められること、被告人は、先にA子に二度と無断で同女の預貯金の払戻しはしないと約束し同女が承知する筈はないのに、同月九日ころから勝手に同女の預貯金を払い戻して費消したこと、本件建物二階の入口ドアの鍵はA子が持っていたものを含め合計三本であるが、A子所在不明後A子が持っていたと認められるものを含め二本は被告人が所持し、残り一本は本件建物二階七畳の間にあったものが押収されていること、その他補足説明(第二、二5ないし9)に認定説示のとおり、A子へ送られてきた重要な書類を捨てたりA子の死亡届について相談するなどA子が既に死亡していると認識していたとしか考えられない行動を重ねていること、A子の唯一の同居人であるのにA子の所在不明の後逮捕されるまで一年半以上も警察への捜索願を出すでもなく、A子の知人、親族等にA子の所在を確認するなどして探してもいないこと、被告人は、平成元年一月二一日から二二日にかけて、警察に事情を聞かれた際、A子が大事に保管していた印鑑三個、A子名義の銀行の総合口座通帳、定額郵便貯金証書のほか、A子の住民票六通、印鑑登録手帳、印鑑登録証明書六通、右鍵二本等を所持していたが、右印鑑と住民票を除いて、任意に提出することを拒み、これらを所持するに至った経緯等について捜査官に説明や弁解をしなかったこと

5  その他

A子が殺人以外の原因で死亡したことを被告人が認識して行動していたことやA子が被告人の意に反して死亡したことをうかがわせるような事実や証跡が全くないこと、本件建物二階にそのころ被告人とA子以外の第三者が侵入した形跡は全く認められず、屋内が物色されたり、荒らされた形跡もないこと、A子は勤務先と自宅とを往復する判で押したような生活をしており交際範囲が狭く、婚姻歴も男性関係もないこと、実直かつ几帳面で人に恨まれるような性格でないこと、解剖結果からも性的被害の形跡はないこと、これらのことから被告人以外に犯行の機会や恨み、財産的、性的動機を有する者の存在が全くうかがえないこと

以上1ないし5の各事実を総合すると、被告人が、本件不動産の処分を承諾しなかったA子を原判示第一の日時、場所において、判示の方法で殺害し、その後、右犯跡を隠蔽するための行動や本件不動産を処分するための行動を重ねていた事実を優に認定することができる。

所論は、これらの個々の間接事実を取り上げ、その事実の認定自体を争い、或いは、これら各事実によっては直ちに被告人の殺害行為を認定できないというが、以上のとおり、これらすべて証拠によって認定される別個独立の多数の間接事実はことごとく被告人が本件殺人の犯人であるという同一の結論を指示して相互に補完し矛盾するところは一切なく、これらを総合すると合理的疑いを超えて優に原判示第一のとおり被告人がA子を殺害した事実を認定することができる。

なお、所論は、原判決が、補足説明で「本件は、被告人が完全に否認している上密室での殺人事案であるため、犯行の詳細な手段等の、犯人の供述に頼らざるを得ない部分については、推認するに止まる」(原判決書89頁2(一))としながら、A子殺害の方法を原判示第一のように摘示しているのは違法であるというが、原判決の右説明部分は、本件殺害行為につき被告人が終始否認し、密室犯罪で他の直接的証拠が全く存在しないため、犯罪事実の認定が情況証拠などの間接的証拠による総合認定によらざるを得なかったことから、犯行の手段等が原判示第一記載の程度以上に具体的に認定できなかったとの趣旨を述べているのであり、原審で取調べられた関係各証拠によって右限度で合理的疑いをさしはさむ余地なく事実が認定でき、それ以上に具体的な認定はできないものの、それがやむを得ない場合と認められるのであって、原判示をもって殺人の罪となるべき事実の摘示としては十分であるから、これが違法なこととはいえない。

原判決が原判示第一の被告人の殺害行為を認定したことに、所論指摘の事実誤認、理由不備、理由の食い違いはなく、論旨はいずれも理由がない。

三  本件下半身、本件頭蓋骨等、本件肉片とA子の身体の同一性

所論は要するに、本件下半身、本件頭蓋骨等、本件肉片について、原判決が、これらをA子の身体の一部であると認定する根拠としている事実や鑑定等の信用性は低く、これらをA子の身体の一部と認定することはできない、というのである。

所論にかんがみ記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果を加えて検討すると、原審で取調べられた関係各証拠によれば、補足説明(第一、三、四)において、<1>本件下半身の特徴とA子の身体的特徴を比較検討し、その痣、座りだこの位置、右下腿が細く筋肉の萎縮があり片足を引きずるように歩く人物像など双方の特徴が細部にわたるまでことごとく一致し、かつ、血液型が共にABO式B型であること、本件下半身の陰毛と本件建物二階で押収されたA子のものと判断される陰毛が同一人のものと認められることなどから、本件下半身がA子のものである可能性が極めて高いこと、<2>本件頭蓋骨等は同一人のものであり、本件頭蓋骨等の特徴とA子の歯科治療の際のパノラマレントゲンフィルムによる頭蓋骨の歯冠形態などを比較し、本件頭蓋骨等がA子のものであるとの鑑定、A子の生前の三方向から撮影した写真と本件頭蓋骨の写真とを重ね合わせて、すべて解剖学的位置関係が適合することから、A子と本件頭蓋骨の人物が同一人であると推認したスーパーインポーズ法による鑑定、A子と本件頭蓋骨等の血液型が共にABO式B型であることなどから、本件頭蓋骨等がA子のものと判断されること、<3>また、本件下半身と本件頭蓋骨等の内の毛髪は血液型(ABO式B型)とDNA鑑定による遺伝子型(HLA-DQA1型0103/0501型)が一致すること、本件下半身が入れられていたビニール袋と本件頭蓋骨の付近にあった頭髪及び歯牙一本が在中し本件頭蓋骨等を入れて投棄したものと認められるビニール袋がその外寸及び成分等から同一の再生屋で生産されたと考えられることなどから、本件下半身と本件頭蓋骨等が同一人のものであると認められ、<4>補足説明(第二、五1(一))において、本件建物二階の浴室で発見された本件肉片が本件下半身と血液型(ABO式B型、PGM1型1-1+型)及びDNA鑑定による遺伝子型(HLA-DQA1型0103/0501型)がすべて一致し、本件下半身の死後推定経過時間、これを切断した成傷器からみて、本件肉片は本件下半身と同一死体の一部であると認められること、これらの状況に加え、A子の性別、年齢、死亡推定日時やばらばらにされる死体の数はそれ程多数存在しないという社会的蓋然性等を総合し、原判決が、本件下半身、本件頭蓋骨等、本件肉片がいずれもA子のものであると認定した結論は正当として是認することができ、右認定に反する何らの証拠もない。

なお、関係証拠を検討すると、本件下半身、本件頭蓋骨等については、DNA鑑定による遺伝子型(HLA-DQA1型)の検査結果を除外しても、原判決の指摘する右各客観的事実から、これらがA子のものであると認定することができる。また、本件肉片についても、本件建物二階の浴室の蛇口からヒトの骨格筋と脂肪組織片である本件肉片が発見されたという状況は、同所で人体が切断されたとする以外の説明は困難であること、本件下半身の切断に際し鋸が使用されていると認められることから、骨格筋や皮下脂肪組織の小片が容易に生ずると考えられること、本件肉片の人体からの離断して後の経過期間と本件下半身の死後の推定経過期間から同一人に由来するとして矛盾がないこと、A子が殺害されたとされる時間帯においてA子と被告人の二人だけが本件建物二階に居たと認められること、本件肉片と本件下半身の血液型はABO式(B型)のみならずPGM1型(1-1+型)においても一致し、その頻度は三・四パーセントであることを総合すると、DNA鑑定による遺伝子型(HLA-DQA1型)の検査結果を除外しても、本件肉片がA子に由来すると推認することが可能と認められる。これに加え前記のような本件下半身、本件頭蓋骨等、本件肉片のDNA鑑定による遺伝子型(HLA-DQA1型)の一致のみならず、A子が使用していた毛布の血痕のDNA鑑定による遺伝子型(HLA-DQA1型)との一致は、これらがすべてA子の身体の一部であるとの結論を更に補強し確固たらしめるものである。本件下半身、本件頭蓋骨等、本件肉片がA子の身体の一部であるとする原判決の認定が根拠のないもので事実を誤認しているとの所論は理由がない。

更に、所論につき個別的に補足して検討を加える。

1  本件下半身

所論は、A子の身体的特徴についての原審証人K子、同M子の証言は全体として誇張や記憶の誤りがあるほか、被告人に対する敵意さえうかがえることから到底信用できない。また、毛髪鑑定による個人識別は困難な実情にあり、かつ原判決の根拠とする推定身長や死後経過時間も幅のあるものであって、本件下半身がA子であるとの認定をするための客観的証拠は存しない、という。

しかし、関係各証拠によると、原審証人K子、同M子は、両名とも、十数年以上、A子の勤務先の丙山工業においてA子と同室で縫製の仕事に従事していた者で、A子の身体的特徴や歩き方等についても十分知ることができた者であって、その証言内容は具体的で自然であり、痣の位置、形状の詳細など実際に目撃したものでなければ知り得ない内容も多いうえ、関係各証拠とも符合している。また両名が、A子の身体的特徴についてまで、ことさら虚偽を述べなければならない理由もないのであって、右各証言の信用性に疑問はない。また、本件下半身から採取した陰毛(一〇本)とA子の毛布や本件建物二階七畳板の間から採取された陰毛のうちの計五本とは形態学的検査及び血液型検査(共にABO式B型)や、これらの形状など特質を共通にしており、両者は同一人に由来すると考えてもよいとの鑑定結果(甲四九号証、五三号証)の信用性に格別の疑問はない。原判決は、身体的特徴、陰毛の特質、推定身長とA子の生前測定した身長の符合や死後経過時間に矛盾がないことのほか、血液型の一致、閉経、出産経験の有無など証拠によって認められる客観的事実に併せて、更に本件頭蓋骨等と本件下半身が同一人に由来すると推認でき、A子方浴室で発見押収された本件肉片が本件下半身と同一人に由来すると認められることをも総合して本件下半身はA子のものと認定しているのであって、これが客観的証拠に基づかないものであるとか、事実を誤認したものとはいえない。

2  本件頭蓋骨等

所論は、A子の歯科治療の際のパノラマレントゲンフィルムと頭蓋骨の歯冠形態などを比較した平沼鑑定(甲九五号証)は、パノラマレントゲンフィルムの撮影時期が一〇年余り前であって歯牙の状態が異なっている可能性があるうえ、頭蓋骨と歯冠形態の各レントゲンフィルムを引き伸し比較するのは定量的な比較ではなく誤差の可能性がある、という。また、山田鑑定(甲九九号証)によるスーパーインポーズ法による同一性の判断も判断者の主観に左右されるから、これらの方法により、頭蓋骨等とA子の同一性を認定することはできない、という。

しかし、これらはいずれも確立された遺体の同一性確認の方法であり、右平沼鑑定(甲九五号証)は、愛知学院大学歯学部教授で歯科補綴学の専門的知識経験を有する鑑定人平沼謙二が、人の顎及び歯牙については、各個人によりそれぞれ形態的特徴、個体差があり、これが年月の経過によって変わるものではなく、A子を治療した歯科医師の提出したA子の歯牙の回転パノラマX線写真と本件頭蓋骨の上下顎骨、上下顎歯牙の回転パノラマX線写真とを比較検討して、現存する各歯牙の歯冠形態、歯根形態、植立方向、その位置等について検討し、また歯石は付着の位置や量が年月の経過により変わることがあるが、同一人については同じ場所につきやすい傾向があることから歯石付着像なども検討し、これらが同一人のものと判定をしたもので、右鑑定には十分な信用性が認められる。またA子の歯牙の回転パノラマX線写真の拡大率に比べ頭蓋骨の回転パノラマX線写真の拡大率が僅かに小さいが肉眼により比較読影することに支障はないと認められることから、平沼鑑定の内容、結論に疑問を抱かせる事情は何等存在しない。

また、鑑定人山田高路は、愛知医科大学法医学教室教授でこれまで多数例の頭蓋骨を含む白骨死体の解剖や鑑定を実施した知識、経験に基づき、本件頭蓋骨及び付近で発見された下顎骨、頚骨、歯牙、毛髪は同一人のもので、性別は女性、血液型はABO式B型、年齢五〇歳台の可能性が高く、死後経過時間が六か月から一年六か月の間のものであるとの鑑定(甲八八号証)に加え、A子の生前の正面、左側、右側の三方向から撮影した各写真と頭蓋骨の写真とを重ね合わせて、すべて解剖学的位置関係が適合することから、A子と頭蓋骨が同一人であると推認したもので、この鑑定(甲九九号証)の内容、結果に特段の疑問はない。なお、原判決は、これらの各鑑定のみによって、直ちにA子と頭蓋骨の人物が同一人であると認定したのではなく、これらの両鑑定結果に併せ、A子の失踪時期と頭蓋骨の死後経過期間に矛盾がないこと、頭蓋骨と共にあった頭毛とA子の使用していたブラシから採集した毛髪の血液型(ABO式B型)、形状などの共通性から同一性があることなどの事実を総合して頭蓋骨をA子のものと認定しているのであって、所論の理由のないことは明らかである。

3  本件肉片

更に所論は、本件肉片、本件下半身、本件頭蓋骨等が同一人に由来する根拠とするDNA鑑定(甲四六号証、三三八号証、三三六号証、四六二号証並びに原審及び当審における証人勝又義直の各証言、以下、本件DNA鑑定という)の信頼性を争うほか、鑑定資料の本件肉片が第一回検証時に発見されなかったのに本件下半身が発見された以後に行われた第二回検証時に至って発見され採取されたことは不自然であって本件肉片の採取過程に疑問がある、という。

しかしながら、本件DNA鑑定について信頼性に欠けるところがないことは、後述のとおりであり、本件肉片が第一回検証時(平成元年一月二一日から二三日)に発見されなかったのに、本件下半身が発見された以後に行われた第二回検証時(同年二月一六日から一七日)に至って発見され採取された経緯は補足説明(第二、五1(一)(5))に説示のとおりであって、特段不自然であるとか疑問があるとはいえない。すなわち、関係各証拠によると、本件肉片は約二・八センチメートル×一・〇センチメートル×〇・三センチメートル(重さ約〇・〇九グラム)という大きさで、しかも浴室水道蛇口裏側(壁側)に乾燥した状態でこびりついていたため浴室の壁に顔を近付けるようにして覗き込まないと分からないもので(甲三九二号証の写真は、第二回検証時に蒸留水を湿したろ紙を当てて血液成分を採取した際に肉片が浮き上がったもの)、これが第一回検証の際には見落されたが、切断された下半身が同年二月五日になって発見されたため、死体が解体されていることを考慮して更に徹底した第二回検証が実施され、初めて発見されるに至ったというのは特に不自然とはいえず、また、本件肉片は、ヒトの骨格筋及び脂肪組織の一部であるが、乾燥状態、識別可能な血液型の種類からして身体から離断された後二、三週間から一、二か月程度放置されていたと鑑定されているところから、二月五日に発見された下半身の一部を離断したうえ、これを作為的に付着させたなどとは到底考えられない。

4  DNA鑑定の問題点

所論は、本件下半身、本件頭蓋骨等、本件肉片がA子のものであることの根拠であるDNA鑑定は、最近開発されたばかりのものであり、客観的確実性が担保されていないほか、その信用性に多くの疑問が提起されており、これによって、本件下半身、本件頭蓋骨等、本件肉片がA子のものであると認定することはできない、という。

しかし、本件DNA鑑定については、以下のとおり、その信頼性に疑問はなく、他の各証拠から認められる前記各客観的事実に加え、本件DNA鑑定結果をも併せて、本件下半身、本件頭蓋骨等、本件肉片がA子の身体の一部であると認定した原判決の判断に誤りは認められない。

確かに、DNA鑑定は、一九八五年にイギリスの遺伝学者ジェファリーズによって発表されたDNAフィンガープリント法をもって嚆矢とする個人識別法で、その後各種のDNA鑑定法が発表されているが、要するに、個人によって細胞核内の塩基配列の異なることを利用してDNA型を分析し個人の同一性を識別する方法であって、歴史が新しく、その理論的、抽象的レベルでの科学的妥当性は確立されているとしても、分析資料の品質管理が適切に行われなかったり、操作各工程の操作管理が適切な標準的手順に従わずに行われたり、或いは、その解読に際し間違った読み取りがされたりして、その結果誤った判定がなされる危険があること、また、再鑑定ができないことなどによる被告人の防御権を侵害するものであるなどの指摘がなされている。所論もこれらの諸点を主張し、本件DNA鑑定の信用性を争うものである。

ところで、本件では、被害者の同一性の識別にDNA鑑定を用いるものであるが、関係各証拠によると、本件DNA鑑定については、以下のとおり、十分な専門的知識経験と技術水準を有している鑑定人が、適切に管理、保管された量的にも十分な鑑定資料を用い、鑑定当時として検査法自体は一般的に確立された最も確実で標準的とされた検査法に従い、かつ、操作、解読等について客観性の確保に欠けるところがない方法によっており、その鑑定内容、結果には十分な信用性を認めることができ、また、必要とあれば再鑑定や批判的検討も可能であり、不当に被告人の防御権を侵害するものとはいえない。

(1) 鑑定人勝又義直は、名古屋大学医学部を卒業し、昭和五三年から法医学を専攻し、同六三年からは同大学医学部法医学教室教授となり、同六四年ころからDNAについて法医学研究室を挙げて研究を重ねDNA型判定に取り組んできた者であり、DNA型判定についての多数の著書論文、学会等における研究発表の実績を有し、現にDNA多型研究会DNA鑑定検討委員会委員長の職にあり、DNA鑑定についての最高の専門的知識経験と技術水準を有している学者の一人である。

(2) 本件鑑定資料である本件肉片、本件下半身、本件頭蓋骨等の内の毛髪、血痕の各資料の量も十分で、下半身と肉片は冷凍して、血痕、毛髪は乾燥して保存され、細菌による汚染、腐敗、異物の混入を防ぐための保存状態が確保され、操作、設備、資料や薬品の品質管理にも適切を欠くところはうかがえない。

(3) 本件DNA鑑定の手法は、DNAのうちでも六番染色体にあるHLA(ヒトの白血球抗原)の、クラス〔2〕の領域の遺伝子型による識別をするものであり、資料から抽出したDNAを増幅し(PCR法)五種類の制限酵素を用いてDNAを切断し、切断されたDNA断片をポリアクリルアミドゲル上で電気泳動させ、その断片の分子量の違いによって生ずる泳動距離の違いをバンドパターンとして読み取る(RFLPs法)というものである。HLAは、体の免疫作用の中心的役割を果たすため、その研究が進んでいる分野で、塩基配列も過半は解明されており、クラス〔2〕の領域の遺伝子型によるDNA判定は既に、わが国及び世界各国の臨床領域(臓器移植)、人類遺伝領域、法医学領域において大学、研究所、医療機関や血液センターなどで広く実用に供されている手法である。また、DNAによるHLAクラス〔2〕の領域の遺伝子の検査のうちでも、DQA1型については、識別可能な型は八種類で三六の表現型(RFLPs法ではそのうち二七の表現型)に限定されるが、確実性・信頼性に優れ、最も早くから検査法の開発が進み個人識別には確実で最適な判定法として本件鑑定当時既に確立された検査法となっている。このように検査法自体一般的に確立された手法に従っているうえ、鑑定人の法医学研究室では本件鑑定まで専らこの検査法による判定に取り組み習熟してきたものである。

(4) HLAクラス〔2〕のDNAによる判定は、プライマーによって規定される特定の長さのDNA断片の増幅を確認し、次いでその塩基配列の違いを確実な手段で読み取って行く方法であるが、HLA-DQA1型の判定には、他の手法と異なり厳密なDNA断片長を測定することによる判断ではなく、切断パターン(型)の分類判定で十分であり、肉眼による読み取り、判定が容易に可能である。パターンの分類のためには技術の差、ゲルの均一性のばらつきによって数パーセント以内の電気泳動による移動距離の差が出ることがあるが、これが切断パターンとしての読み取り判定には影響しないし、微量の異物が混入してもバンドパターンとしての認識が可能とはならず判定に影響しない。また、切断パターンが判別困難なもの、いずれか曖昧なものは、どちらとも決め付けないで判定するのであり(断片の長さ194と191、221と218、242と239など)、更に、RFLPs法では各制限酵素で生ずるパターン判定が相互に補強し合うことによって、確実な判定を保証していることになる(甲四六二号証の表2参照)。

(5) ポリアクリルアミドゲルに出現する疑似的バンドパターン(サブバンド)の問題については、もともとPCR法という遺伝子の特定部位の増幅の手技は非特異的な増幅をいかに少なくし、特異的な部位の増幅をいかに多くするかの工夫から生まれたものであり、この手法により非特異的な増幅を抑制することに成功した。現在用いられている条件でも僅かながら生ずる非特異的な増幅産物によるサブバンドは主バンドに比し量的にも圧倒的に少なく、最も多量に産出される特異的な増幅による主バンドの確認自体には問題がないと考えられる(甲四六号証写真4のAレーンの上部の二本はサブバンドであることは下部の二本のバンドと比べ容易に判別でき主バンドとの識別が容易である)。

(6) 本件鑑定については技法に習熟している鑑定人を含む三名で判定し、かつ、判定を二回以上繰り返し再現性が得られたことも確認し、更に、毛布の血痕を除いて、本件鑑定(RFLPs法)と別の手法(ドットブロットハイブリダイゼーション法)も併用して同一の判定結果を確認している。

(7) 本件鑑定に供した各資料そのものやDNA抽出物は現在も残余が適切に保管されており、再鑑定が可能であり、必要に応じて再鑑定が実施できる研究室等の機関は少なくない。また、本件DNA鑑定書等(甲四六号証、三三八号証、三三六号証、四六二号証)には、鑑定結果のみならず、鑑定資料、鑑定の方法の詳細(資料からDNAの抽出法、DNAのHLA-DQA1遺伝子の増幅法、増幅したDNAの精製法)やHLA-DQA1型の判定法の詳細を説明し、具体的に薬品、方法、データー、写真等を示して判定結果の客観的正確性、再現性に配慮しており、これに対して批判的考察や反論、再検証をなすことが不可能とはいえない。本件鑑定につき客観性が担保されていないとか、他の科学的鑑定に比して被告人の防御権を不当に侵害しているとはいえない。

更に、所論は、本件鑑定は、鑑定した各資料につき、HLA-DQA1の遺伝子型はすべてDQA1*0103/DQA1*0501型と結論し、その遺伝子型の出現頻度を二九〇名の日本人の調査結果に基づくデーターによって算出している。しかし、遺伝子型は人種、民族によって差異があり、多くの人種、民族の融合によって形成された日本人の遺伝子型も地域によって差異があると考えられるが、九州地区と名古屋地区の調査集団のみによるデーターには地域差を考慮しているか疑問である。また、二九〇名というのが統計学上の母集団として十分な数であるのかについての検討もなされていない、という。

しかしながら、本件鑑定に用いた日本人におけるHLA-DQA1の各遺伝子型の出現頻度は、名古屋大学と九州大学の研究室の共同研究で得られたものであるが、このようなデーターは、得られた遺伝子頻度から各表現型の期待値を計算し、実際に観察された値と比較し、その信頼度を統計的手法で検定したところ、この検定でも極めて高い相関を得ており、統計学の手法からも実際の日本人の頻度と大きな違いのないことが明確になっている。二九〇名の九州地区と名古屋地区の日本人について分析しているが、両地区の地域差には目立ったものはなく、従って、日本人の中の地域差も僅かなものと考えられる。また、右人数の分析は、両親から貰っている一組の対立遺伝子が同じもの(ホモ接合体)を差し引いた対立遺伝子が異なるもの(ヘテロ接合体)だけでも五〇〇以上の遺伝子を分析していることになり、「遺伝子の分析には五〇〇以上の遺伝子の分析をすること」という一九八九年の国際法医血液遺伝学会の勧告にも合致し、これだけの数の遺伝子の分析が行われれば母集団の数量として十分であり、その結果は十分に信頼できるものというべきである。これによって、DQA1*0103/DQA1*0501型の日本人出現頻度が二・六パーセントと計算した鑑定内容には十分な信頼性が認められる。更に、本件肉片、本件下半身、本件頭蓋骨等の内の毛髪、血痕はいずれも血液型のABO型がB型(同型の日本人出現頻度が二二・一パーセント)であり、PGM1型が1-1+型であり(同型の日本人出現頻度が一五・六パーセント、但し、本件頭蓋骨等の内の毛髪についてのPGM1型は不明)これらがすべて一致している。これらDNA型と各血液型は独立に遺伝することから、これらの型を共通に持つ日本人の出現頻度は〇・〇九パーセント(一〇〇〇人に〇・九人)とする鑑定内容の信頼性に格別の疑問はない。

以上のとおりであって、原判示「犯罪事実」第一の認定に関し所論指摘の事実誤認、理由不備、理由の食い違いは認められない。論旨は理由がない。

第二  控訴趣意中、原判示第二の死体損壊、遺棄の事実に関する事実誤認、理由不備の主張について

所論は要するに、原判決は、「犯罪事実」第二において、被告人が、判示の日時ころ、本件建物二階浴室内において、殺害したA子の死体の頚部及び腹部を鋭利な刃物及び鋸を用いて切断して損壊し、更に、その後のそのころ、切断した死体の下半身を原判示の名古屋港海中又はこれに接続する水中に投棄し、切断した死体の頭部を原判示国有林内に投棄し、それぞれ死体を遺棄したものと認定している。しかし、被告人が右犯行を行ったことを立証する証拠はなく、原判決が推論によって被告人の犯行を認定しているのは、証拠に基づかない認定であって、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認であり、また、判決に理由を付さない場合にあたる、というのである。

所論にかんがみ記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果を加えて検討すると、原判決挙示の関係各証拠によれば、原判決が「犯罪事実」第二に判示するとおり、原判示日時、場所において、判示の方法で、被告人がA子の死体を損壊し、これを遺棄した事実を優に認定することができるのであって、原判決に所論指摘のような事実の誤認、理由不備は認められない。また、右各証拠によれば、右「犯罪事実」第二の認定に関し、原判決が補足説明(第三、第二の三ないし五、第五)として認定、説示するところも、後記一部を除き、相当として是認することができる。右認定に反する被告人の原審及び当審における各供述部分は、原審で取調べられた関係各証拠に照らして到底信用できない。

以下、所論に即し順次補足して検討する。

一  死体の損壊

所論は要するに、原判決は、本件建物の二階浴室内及び外部排水溝の血痕反応状況、二階浴室で発見された本件肉片がA子のものであること、本件下半身、本件肉片の状況などを認定し、これらのことから被告人が死体損壊行為をしたと認定している。しかし、損壊に用いられた凶器とされる鋸や刃物は発見されておらず、これらを被告人が入手した事情も明らかではない。また、浴室で発見された肉片がA子のものであるとは断定できないし、第一回検証に際しルミノール検査も行っているのに、本件肉片が第二回の検証の際に初めて発見されたというのは不自然である。したがって、被告人が死体損壊行為をしたと認定することのできる証拠は全く存在しない、という。

しかし、前記のとおり、被告人がA子の殺害行為を本件建物二階七畳の間で行ったと認定でき、被告人以外の者が死体損壊行為をしたとの合理的な疑いをさしはさむに足りる特段の状況も存在しない以上、現に殺害行為を行い、かつ、被害者と同居していて最も殺害行為を疑われる立場にある被告人が犯跡を隠蔽する目的で死体を運搬投棄することとし、その目的及び便宜からこれを解体したと推認することは不自然なことではなく、被告人が殺害の犯行後A子の勤務先にわざわざ虚偽内容の電話をしてA子の生存を装っていることも同様目的によるものと考えられる。そうすると損壊に用いられた凶器とされる鋸や刃物についても被告人は犯跡を隠蔽する目的で容易に発見されないところに投棄したことは十分に考えられるところであって、これが発見されていないことは被告人が死体を鋸及び刃物を用いて損壊した事実の認定を妨げる事情とはいえない。浴室で発見された本件肉片がA子のものであること、それが第二回の検証の際に初めて発見されたことが不自然ではないことは前記第一、三3に認定説示したとおりである。原判決が関係各証拠によって認められる浴室内及び外部排水溝の血痕反応状況、浴室で発見された本件肉片がA子のものであり、これがA子の死体を鋸で切断する際に離断したものと考えられること、本件頭蓋骨等、本件下半身、本件肉片の状況などから、被告人が原判示のとおり殺害したA子の死体を本件頭蓋骨等、上半身(未発見)、本件下半身に鋸及び刃物を用い切断、損壊したと認定したことが証拠に基づかないものとはいえない。

二  死体の運搬、遺棄

1本件下半身

所論は要するに、原判決は、被告人が昭和六四年一月七日に自転車を購入したこと、段ボール箱を貰い受け、段ボール箱を荷台につけて出掛ける姿を隣人に目撃されていること、被告人は名古屋港付近の土地勘があることを根拠とし、同日ころ被告人が本件下半身を自転車で運搬、遺棄したと認定している。しかし、被告人が購入した自転車は、本件下半身の重さ、大きさや本件建物から名古屋港東築地橋までの距離からして、死体運搬に用いることができるような頑丈なものではなく、段ボール箱も小さくひよわな物であるから、自転車は、ごみを捨てるために新たに購入したものであり、段ボール箱も、ごみを捨てるために貰ったものであるという被告人の弁解は不自然ではない。また、被告人は段ボール箱を積んで自転車で出掛けるときには、目撃者のL子に声を掛けていることから、被告人にはごみを捨てに行くだけでやましいところはなかったと考えられる。それに死体を運搬投棄した日時を特定する証拠もない。したがって、被告人が死体運搬、遺棄行為をしたと認定できる証拠は全く存在しない、という。

しかし、本件建物二階で殺害されたA子の死体の一部と認められる本件下半身が原判示第二記載の名古屋港内で発見されたことは、本件建物二階から同所付近に何者かによって運搬、遺棄されたことを意味するが、殺害行為をした者が犯跡を隠蔽する目的で死体を運搬、投棄することとし、その目的及び便宜から解体して、これを運搬、投棄することは極めて自然な筋道であり、本件につき被告人以外の者が運搬、投棄したことをうかがわせる証拠は皆無であるうえ、関係証拠によると、被告人は、昭和六四年一月七日午後五時ころ、自転車屋で頑丈なものをと注文をつけて自転車を購入し、更に、薬店で段ボール箱を入手した後、同日午後七時ころ、自転車荷台に段ボール箱を積んで運ぼうとしているのを隣人のL子に目撃されているし、自転車の前篭から採取した毛髪のうち三本は血液型及び形状などからA子の鏡台にあったブラシから採集した毛髪と同一性が認められること、捜査官の実験結果によって、同種自転車及び段ボール箱は、本件下半身ほどの重量の物の積載及び本件建物から名古屋港付近までの運搬に十分耐える大きさと強靭さが認められるうえ、原審における被告人の、生ごみを捨てるために自転車を購入し段ボール箱に生ごみを積んで運ぼうとしていたとの弁解が信用できないことを考え併せると、補足説明(第三、四)に説示するところは、相当として是認できる。被告人が隣人のL子に近くから目撃され挨拶をしたからといって本件下半身を運搬しようとしていたとの認定に合理的疑いをさしはさむ事情とはいえない。また、この点について、被告人が捜査段階において全く供述せず、原審においても完全に否認していたことから、運搬、遺棄の日時まで具体的に特定できないのはやむを得ないところであるが、補足説明において、関係証拠によって、被告人がA子を殺害し、死体を切断、損壊したと認められる日から後の同月七日から名古屋を去り白浜町に戻った同月一一日までの間に遺棄したと認定しているのは相当として是認することができる。原判決の認定が証拠に基づかない認定であるとの所論は理由がない。

2 本件頭蓋骨等

所論は、原判決は、昭和六四年一月六日から同月一一日までの間に、被告人は、公共交通機関を利用してJR中央線定光寺駅まで行き、その後徒歩により頭蓋骨等をボストンバッグなどの運搬用具の中に入れて手に持ち遺棄したと判断されると具体的に認定している。しかし、頭蓋骨が手で携帯が可能であること、投棄場所までは公共交通機関を利用しその後徒歩で行けることだけから、被告人の遺棄を認定したのは暴論であり、被告人の行為であること、その日時、方法のいずれについても証拠は皆無であり、原判決の右認定は、証拠に基づかない認定である、という。

しかし、既に述べたとおり、被告人がA子を殺害し、死体を頭部、上半身、下半身に切断、損壊し、更に、本件下半身については、前記のとおり、これを被告人が運搬し、遺棄したものと認定されること、本件頭蓋骨等は、原判示第二の国有林内で発見されたが、これらについても、被告人以外の者が運搬、投棄したことをうかがわせる証拠はないから、本件下半身を運搬、遺棄したと同一人の被告人が頭蓋骨等も運搬、遺棄したものと推認されること、本件下半身が発見されたとき入れられていた黒色ビニール袋(二枚)と、本件頭蓋骨の約五・〇五メートル離れたところで頭髪及び歯牙一本が入っているのが発見されたことから本件頭蓋骨等を入れて投棄されたものと認められる黒色ビニール袋(一枚)は、その形状、厚さ、サイズが一致し、色、材質、成分の測定結果等からいずれも再生品で同一メーカーのものと認められること、そうとすると、被告人は本件頭蓋骨等についても本件下半身と同様黒色ビニール袋に包んでこれが発見された原判示第二の国有林まで何らかの方法で運搬し、遺棄したものと認定することができる。そして、この点について、被告人が捜査段階において全く供述せず、原審において完全に否認していたことから、その日時、運搬方法まで具体的に特定できないのは、やむを得ないところである。具体的方法の認定ができないからといって、原判示第二の右認定に合理的疑いをさしはさむ余地はない。ところで、原判決は、「被告人は、公共交通機関を利用して定光寺駅まで行き、その後徒歩により、頭蓋骨等をボストンバッグなどの運搬用具の中に入れて手に持ち運搬し、遺棄したものと判断される。」と補足説明した(原判決書一〇〇頁)が、この判断は証拠に基づくものとはいえないものの、このことをもって、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認とはいえない。犯行年月日については、原判決が補足説明において、被告人がA子を殺害し、死体を切断、損壊したと考えられる日以後の同月六日から名古屋を去り白浜町に戻った同月一一日までの間に遺棄したと認定しているのは相当として是認することができる。原判決の認定が証拠に基づかない認定であるとの所論は理由がないことに帰着する。

そうすると、原判決が原判示第二のとおり、被告人の死体損壊、遺棄の犯行を認定したことが、証拠に基づかない認定であって、判決に影響することが明らかな事実誤認であるとか、判決に理由を付さない場合にあたるとの論旨は理由がない。

以上の次第であって、原審が原判決挙示の各証拠によって、被告人が原判決「犯罪事実」第一、第二記載の各犯行に及んだと認定したことに所論指摘の事実の誤認、理由不備、理由の食い違いはなく、記録及び証拠物を精査し所論の一切を子細に検討しても、原判決が被告人の右各犯行を認定した過程及び結論に合理的な疑いが残るものとはいえない。論旨はいずれも理由がない(なお、原判決の「証拠」の欄に掲記の各証拠は「判示全事実について」の証拠として掲記した趣旨と認める)。

よって、本件控訴は理由がないので、刑訴法三九六条によりこれを棄却し、平成七年法律第九一号による改正前の刑法二一条を適用して当審における未決勾留日数中五〇〇日を原判決の本刑に算入し、当審における訴訟費用につき刑訴法一八一条一項但書に則り被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 土川孝二 裁判官 松村 恒 裁判官 柴田秀樹)

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